スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

赤裸々 1

もう暴露本的な。

今日、長年の苦しみから、多分、少し、解放された。

苦しみが闇となって日々ふくれあがってく。
この私の闇の部分は、一生癒える事がないという確信がある。
記憶でもなくさない限り一生抱えて生きていく。
あ、記憶をなくしても一生抱えてるかもしれないな。
記憶以前の、潜在意識の問題ってものがあるから。
でも、今日、少しだけ解放された気がした。
これをきっかけとしてちょっとだけ心を洗えるかもしれない。
だから、記録に残したいって思ったから、書く。
書いて発散したり、誰かの目に触れたかもって思うことで、
気持ちの何かが変わるかもしれない期待もあるから。


私は自分が誰なのかよくわかんない。
「半分が自分も知らない誰か」だから。
自分なんだけど、半分どういう人間なのかよくわからない。
それが自分を混乱させているし、怖いし、自信がない。
私は自信がない。
自分の半分はミステリアスだから。
ミステリアスな部分が発動すると自分の中で混乱が起きる。
言ってしまえば自分どころか息子の4分の1もミステリアス。


要するに私は自分のDNAが半分わからない。
父親は知らない人。


私は、両親と妹の4人家族だった。
宮城県仙台市で産まれ、小学3年生に上がる前東京へ引っ越してきた。
家族仲が良くごくごく普通の家庭、だったと思う。
親戚はほとんどが仙台だったので、長期の休みや
何かあると仙台に遊びに行ってた。
でも私は昔から、父方の方の親戚の中ではなんとなく
馴染めないというか寂しいと言うか・・・。
なんとなくそういった感情を持ってた。
その寂しさがなんなのかなんて子供のときも大人になってからも
深く考えた事がないし何でだろうと疑問にも思わなかったけど。
だってみんな普通に接するし優しいしおかしいところなんてないしねぇ。
とはいっても母方の親戚の方はなんだか落ち着けるというか、近いと言うか。
子供の頃からなぜか、自分の中でそういった感覚があったなぁ。

私が中学に上がるころ、両親は妹ががんばっていた
小学校のミニバスケットボールの応援に夢中になった。
妹のバスケの試合などでは目を輝かせて応援して。
とても楽しそう。
2人して妹の応援に夢中(笑)
私は特に気にしてるつもりはなかったけどやっぱ寂しさもあったかな。
でもまぁ私は何事も結構適当だったし、あんま一生懸命じゃないって
今考えても思うくらいボ?ッとしてたし(笑)
ミニバスだって私が妹より先にやってたんだけどやめちゃったし。
だってもう練習がイヤでイヤで。先生コワイし。
だからまぁ寂しいけどヤキモチみたいのはなかった。
なかったんだけど・・・今思えば反発心??
中1?2年の頃、影でタバコは吸うわ酒は飲むわ。
酒なんて飲めないくせに自分を痛めつけるように飲んでみた。
具合が悪くなった。
他中のちょっとグレてる子達とつるんで遊んでた。
影で。
でもそんなそぶりは見せないで家庭では普通に振舞って。
タバコは親にばれて、その時父に新聞で思いっきり頭叩かれた。

2学年下の妹が中学校に上がって私は中学3年。
受験なのにXを追いかけてXにすべてを集中させてた。
ホンット・・・・HIDE命ってヤツだった。
当時仲間内で流行っていたホットロードというマンガの真似をして、
腕に好きな人の名前を彫るなんてことをやった。
もちろん「HIDE」って彫った。
今でもその場所を見るとなんとなく痕が残ってる。
この頃は、Xファンや好きなバンドのファン同士の文通などが主流で、
最高で30人くらいと文通したりした。
その中に、とても近所に住んでいたM沢さんって子がいて。
そのM沢さんを通じて少し後に相棒と出会うことになる。
多分この年だ。
父に「お姉ちゃんは字がすごくキレイになったね?!!」って褒められた。
いきなりそんな事を言われてテレながらもすっごい嬉しかった
のを今思い出した??。
とにかく家族仲が良かった、この頃までは・・・。

私が高校に上がり、妹が中2くらいの頃だったかなぁ?。
妹が荒れだした(笑)
その妹に両親は振り回されながらも時間を費やした。
私はその頃から結構1人になる事が多くなり。
荒れてる妹にはしら?ん顔。
するとある日妹に家ですれ違うときこう言われた。
「あんたはいつも他人事だね。」
生意気・・・(笑)
私がどんな孤独感を抱えて「お姉ちゃんはしっかりしてるから」
って言われて何も言わずにガマンしてたか知らないでしょう。
そのときは知らん顔して部屋に入ったけど腹ん中煮えくり返ってた。
そんで、部屋の壁を思いっきり蹴飛ばした。
すると壁に思いっきりデッカイ穴があいた・・・・・・
とりあえず鏡で隠したけどそのうちバレた・・・・。

そしてこのあたりで相棒と出会ったんだったかなぁ??
TOSHIのソロライヴでM沢さんに紹介され・・・。

高2のとき、小中と仲良かったのに喧嘩別れした子と仲直りした。
名前はYっぺ。
Yっぺは高校は違ったけどまた一緒につるむようになって。
Yっぺがハマッてるっていうバンド、RED HOUSEのライヴに誘われて、
その頃からライヴハウスに出入りするようになった。
神楽坂エクスプロージョン。
私の愛しているXもここでライヴをやっていた、いわば聖地。
当時はXやLUNA SEAその他モロモロのバンドに狂っていた
私がライヴハウスを楽しいと思わないはずがなかった。
RED HOUSEのライヴに、Yっぺと、高校のXファンだった
友達Sちゃんと3人で、通うようになった。
そこで私はギターのRさんを追いかけながら他のバンドのヴォーカルと
付き合うようになった・・・
我ながら、最低な女だった。
「好きだからつきあってよ」って言われておもしろ半分で付き合った。
その後Rさんと付きあうことになったからその人とは2?3週間で別れたけど、
本当に軽率で最低で安い女だったと今でも思う。
その後はもうそんな人として最低な事は絶対にしてないけど。
当たり前だよね。

そして門限は破るしRさんと外泊するようになるし、妹は荒れてるしで
両親は心労が耐えなかっただろうなぁって思う。
でも、誰にも言わないけどずっと抱えていた孤独感は、
とりあえずRという彼氏ができて一時おさまったような気がする。
このR、6歳も年上のくせにものすごいヤキモチ焼きで束縛家で、
ワガママで、バンドやってるから貧乏でケチで清春が大っ嫌いで。
「そんなミニスカートはいて、誰に見せるの!?」
「そんな胸元の開いた服着て、誰に見せるの!?」
「ピアスなんかあけて、穴ふさぎな!!」
「俺の前で他の男なんかと喋って、どういうつもり!?」
「こんな夜中にどこ行ってたの!?バシッ(←平手打ち喰らった)」
もううんざり・・・・。
なんて心の狭いヤツ・・・って思いながらも
また1人で家で孤独感に包まれるのがイヤでダラダラと一緒にいた。

こんな生活が続いているうちに、妹が妊娠・・・。
私が高校を卒業するよりも早く、私は「伯母」になった。
でもこの妊娠をきっかけにまた家族の距離が縮まったような気もする。

甥っ子はとてもかわいかった。
両親ももうメロメロでとってもかわいがった。

高校を卒業してぷらぷらフリーター生活。
しばらくRと一緒にいたけどもうあの束縛にはさすがにうんざりで、
かなり修羅場ったけど好きな人ができたと言って別れてもらった。
好きな人なんて付き合ってるときから実はいっぱいいたけど。
それからは1人になるのがイヤで、彼氏がいない時期がないくらい
常に誰かと一緒にいた、もうほとんど病気なんじゃないかってくらい。
とにかく1人が怖かった。1人は寂しい、イヤだ。

それから少し経って、誘われるがままキャバクラで仕事を始める。
Comment
Secret

プロフィール

まゆ

Author:まゆ
声と頬骨と横顔フェチな爽やかになりたいけどなれない妄想率50%越えのhideを愛してやまない浦和レッズサポ★

カテゴリ

最新記事

ブックマーク

月別アーカイブ

ブログ内検索フォーム

カレンダー

07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

Twitter

月齢

FEVER X JAPAN

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。