スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

赤裸々 2

キャバクラで働くなんて、両親は大反対だった。
それでも無理やり働き出したら心配しながらも怒らなくなった。
このキャバクラでの仕事は、ある意味私の転機だったかもな。
いろんな事があったし、旦那と出会った場所だから。

こういう仕事をしだしてあらためて感じた事があった。
私って、やっぱ男の人ニガテかもしれない・・・。
ニガテ、でも1人でいられないからいないと困るみたいな。
なんとなく「彼氏のところは自分の居場所」って思ってた。
でもやっぱりこういう人の感情が渦巻くところってよくないかもね。
このキャバクラに勤めてる間にもいろんな人と付き合い、
いろんな事に巻き込まれ、いろんな危険な遊びもした。
それはそれは口に出せないようないけないものに手を出したり。
とても悲しい悔しいコワイ思いもたくさんした。
2年くらいは働いてたのかな。
私はその2年で心も体もボロボロになった。
癒されたいと思ったときに、家には私の居場所なんて無くなってた。
いや、実際はそうじゃなかったかもしれないんだけど。
私が勝手にそう思い込んでしまったのかもしれない、寂しくて。
夜中心の生活で昼間は寝ていたりっていう生活だったから、
家族と生活のリズムは違ってくるし家族が集まる夜の団欒に私はいない。
妹の子供もすくすくと育って、両親はそっちに夢中。
妹は実家で暮していたから、かわいい初孫に毎日夢中(笑)
もちろん甥っ子は私からしてもかわいくて大好きなんだけど。

そんな頃今の旦那と知り合って一緒に住むようになり。
ここが私の居場所だって思ってた矢先の私の妊娠。
私は産みたかった。
でも産む事は拒否された。
それでもギリギリまで私は悩み続け・・・
婦人科に行ったら「育ってきてるから早く決断を」と。
ここで私一人で育てる自信がなかった。
「1人でも産む」と、言ってあげられなかった。
涙と震えが止まらない中で、「おろします」と言った。
それは早くしないと年末にさしかかる頃でどこも休診してしまう時期。
赤ちゃんが4ヶ月くらいまで育った、12月25日に中絶をした。
今でもクリスマスは辛い気持ちになる。
でも命を途中で絶たれた子は何も言えないまま逝かされてしまったから。
男の子か女の子かもわからないまま。
私なんかが辛いなんて言えた立場ではないよね。
それから3年後・・・くらいにその人と結婚式はせず入籍だけした。
人の命の上に人は立ってる。
その子を産んでいたら今の息子の姿はなかったかもしれない。
私は、今の息子を大事にしてあげなきゃいけない。

私も結婚をしたことだし、お互いの生活をしながらも
やっぱり私は両親にしょっちゅう会いに行ってた。
カワイイカワイイ甥っ子もいることだし。
実家の近所に引っ越してきてたから、保育園のお迎えにも
よく行ったし一緒にご飯を食べたり遊んだりってした。
甥っ子は「ネネ、ネネ」って言ってすごくなついてくれてて大好きだった。
父ともよく会ってたけど、なんとなく照れくさいと言うか、
2人でいると会話が見つからず黙ってしまう事がよくあった。
2人してなんかよそよそしいと言うか。
昔みたいにぶっちゃけた話ができなくなったというか。

ある日みんなでバーベキューをしに行った帰りに父が具合悪そうで。
車の中でグッタリと寝てしまった事がある。

そのしばらく後、背中が痛いからお風呂に入りたいんだけど
うちのお風呂が壊れてるからおねえちゃんのとこでお風呂貸して
っていって、お風呂に入りにきたこともある。
そしてお風呂上がってから「ちょっと背中さすってくれないか」と。

そのまたしばらく後、2人でお昼ご飯食べてるときに父がこう言った。
「最近、なんか胸が詰まって飲み込めないときがある。」
そのときは病院行ってみなよ?って、言った。

それからまもなく父はやっと病院に行って胃カメラの検査をした。
ポリープが発見された。
良性か悪性か調べるからといって細胞をとられた。
その数日後、「ガン」と言う事が発覚した。
食道ガン。
とにかく、レントゲン写真や書類をもって、母の友達が仲良くしてる
医者がいる病院に、母の友達と、父と、すぐに向かった。
「じゃ、お父さんは血液検査とアレとこれと・・・」と
指示を受けて検査に行かされ、その間に私と母の友達が先生に呼ばれた。

「これぇ・・・言いづらいんだけど・・・・かなり悪いんだ」

この病院じゃもう手がつけられないからガン専門の病院を紹介する、と。
そのまま母と妹も合流し、家族で電車に乗りその病院へ。
そこでも父だけ検査に行かされ、私達は先生に呼ばれた。

「悪性リンパ節ガンです。もって10ヶ月です・・・。」

女3人、無言でつないでいた手をギュッと握り締めあった。
それから泣く母をなだめながら治療方針を聞き、
今後の事を先生と話した。


父が入院。
余命の事や詳しい事は一切父には話すのをやめようと相談し、
極力普通に明るく接しようと3人で心に誓う。
病室のベッドの頭の方に、「〇〇〇〇 A型」って書いてある。
あっ!!!間違ってる!!!お父さんAB型なのに!!

私はB型、妹はA型、母はO型、父はAB型。
私はよく子供のとき「パパはAB型だから二重人格なんだよぉ!」
なんて言いながら大した知識もないくせに父をからかった。
「パパはAB型だから変なんだよ」とののしったりもした。

血液型間違えてたら大変だ!!輸血とかするときやばい!!
って焦った私は急いで受付の看護師さんに報告に行った。
「父はAB型なんですけど、A型ってなってるんですけど!!」

「はい、血液検査でA型でしたよ、大丈夫ですよ!」

・・・っていう返事が返ってきた・・・。
そのときまさに目が点ってヤツ。
父親がA型なら、母親がO型なんだから私B型なわけないじゃん!!
はっ!?何言ってんのっ!?
そしてそれをベッドで寝ている父と母と妹に報告に行く。
妹はえーーみたいな感じだったと思ったけど両親は大した反応なし。
私はそのとき心から言った。

「血液型って変わる場合があるって言う話を聞いた事がある!!
お父さん血液型変わったんだね!!!すごい!!!」

本当に、何の疑いもせず素直に心から言った。

抗がん剤と放射線治療で苦しい治療を耐え抜き、父はまったく
食べれなくなってたのに少しづつ食べれるようになった。
食道のガンは消えていた。
ただ、リンパ節ガンと言う事は体中にガンが運ばれている
という状態だった。

それでも食べれるようになったので一度帰宅の許可が下り、
少しの間自宅療養ができる事になった。

母方の親戚がそのとき遊びに来て、みんなでカニを食べに行ったな。
そのときの父の嬉しそうにカニを頬張る顔が今でも浮かんでくる。
あの時は、余命10ヶ月なんていってるけど奇跡が起きて
このまま治っちゃうんじゃないのかなぁって本気で思ったし願った。
あと、旅行に行きたいと言っていた。
沖縄旅行。
でも体力的に難しいから、沖縄は治ってからね?って・・・。
それで河口湖とか山中湖の方の旅館をとって、
家族みんなで泊まりにいった。
そのときの父の微笑む顔が写真にもいっぱい残ってる。
Comment
Secret

プロフィール

まゆ

Author:まゆ
声と頬骨と横顔フェチな爽やかになりたいけどなれない妄想率50%越えのhideを愛してやまない浦和レッズサポ★

カテゴリ

最新記事

ブックマーク

月別アーカイブ

ブログ内検索フォーム

カレンダー

07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

Twitter

月齢

FEVER X JAPAN

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。